欧州の環境・人権規制によるグローバル資本への具体的処罰判例分析
2026年5月5日、欧州における環境・人権規制は、グローバル企業に対し、そのサプライチェーン全体にわたるデューデリジェンス義務を課し、違反企業への「物理的な処罰」を伴う具体的な法的責任追及を強化しています。特に、欧州サプライチェーンデューデリジェンス指令(CSDDD)の最終承認に向けた動き、ドイツのサプライチェーンデューデリジェンス法(LkSG)に基づく監督、そしてフランス企業注意義務法(Devoir de Vigilance)に基づく訴訟の進展は、企業経営に不可逆的な変化を促しています。
欧州サプライチェーンデューデリジェンス指令(CSDDD)の進展と企業への影響
2026年5月5日現在、欧州サプライチェーンデューデリジェンス指令(CSDDD)は、その最終承認に向けた動きが活発化しています。2024年5月24日にはEU理事会で採択され、発効日は2024年6月10日とされています。その後、2026年2月24日には、CSDDDの簡素化を目的とした通称「オムニバス法」が欧州理事会で承認され、同年2月26日に成立、3月18日に改正CSDDD指令が発効しました。
この改正により、CSDDDの適用対象企業は大幅に絞り込まれ、EU域内企業の場合、従業員数平均5,000人超かつ全世界年間純売上高15億ユーロ超の企業が対象となります。EU域外企業(日本企業を含む)は、EU域内での年間純売上高が15億ユーロを超える場合に適用対象となります。 当初の基準から適用対象企業の閾値が大幅に引き上げられたことで、対象企業数は約7割削減される見込みです。
EU加盟国がCSDDDを国内法として整備する期限は2028年7月26日までと2年延長され、国内法の適用開始は原則として2029年7月26日からとされています。 CSDDDは、企業に対し、自社、子会社、そして直接・間接取引先を含むバリューチェーン全体における人権や環境への負の影響を特定・評価し、予防・軽減措置を講じることを義務付けています。 違反した場合、全世界年間純売上高の最大5%を上限とした制裁金が科される可能性があります。 また、期限内に罰則に応じなかった場合、違反内容を示す声明の公示も行われます。
ドイツ・サプライチェーンデューデリジェンス法(LkSG)に基づく処罰事例
ドイツのサプライチェーンデューデリジェンス法(LkSG)は、2023年1月1日に施行されて以来、企業に対する具体的な監督と処罰の可能性を示しています。 施行当初は従業員3,000人以上の企業に適用されていましたが、2024年1月からは従業員1,000人以上の企業にまで拡大されています。
2026年5月5日現在、LkSGに基づく具体的な「物理的処罰」の判例はまだ多く報じられていませんが、当局による調査や警告の事例は存在します。2025年5月に発足したメルツ政権は、CSDDDに置き換える形でLkSGを廃止し、移行期間中の企業負担軽減を連立協定書に明記していました。 その後、連邦内閣は2025年9月3日にLkSGの改正法案を承認し、報告義務を2023年1月1日まで遡って廃止し、注意義務に対する重大な違反のみに罰金を科すなど、企業に対する罰則を軽減する方針を示しました。
これを受け、同法の履行確保を担当する連邦経済・輸出管理庁(BAFA)は2025年10月1日、報告書の審査の即時停止と、特に深刻な違反にのみ罰則を適用すると発表しました。 2025年11月7日以降、BAFAのポータルからの報告書提出は不可能となっています。 しかし、人権保護に直結する義務違反、例えば人権リスクを特定したにもかかわらず予防・是正措置を講じなかった場合などには、引き続き最大80万ユーロの制裁金が科される可能性があります。 年間売上高が4億ユーロを超える大企業については、年間売上高に比例した制裁金が維持されます。 また、最長3年間の公共調達への参加禁止措置も設けられています。
ドイツの主要業界団体は、2026年1月29日にLkSGの完全な停止を求める共同声明を発表しており、CSDDDとの整合性や企業負担の軽減を求めています。 連邦内閣が承認した改正法案は、2026年1月16日に連邦議会(下院)で初めて審議され、今後の審議の行方が注目されています。
フランス企業注意義務法(Devoir de Vigilance)に基づく訴訟と判決
フランスの企業注意義務法は、2017年に施行されて以来、人権と環境に関する企業のデューデリジェンス義務を強化してきました。 この法律は、フランスに所在し、フランス国内で5,000人以上、またはフランス国内外で1万人以上の従業員を雇用する企業を対象としています。 対象企業は、自社およびグループ会社、取引関係にある下請業者等の活動から生じる人権・環境・安全面のリスクを特定・予防するための「注意計画」の策定・実施・開示が義務づけられています。
2026年5月5日現在、この法律に基づいて提起された主要な訴訟において、具体的な判決が下されています。2026年3月12日には、パリ司法裁判所において、化粧品大手イヴ・ロシェのトルコの子会社をめぐる親会社の注意義務違反を認め、ロシェ・グループ(ヘルスケア)に対して4万8,000ユーロの賠償金支払いを命じる判決が言い渡されました。 これは、国外事業に関して賠償支払の判決が下された初めての事例となります。 この訴訟は、トルコの子会社が2018年に労働組合結成を理由に132人の従業員を大量解雇したことがきっかけとなっています。 裁判所は、トルコ法を排除してフランス法を準拠法とし、サプライチェーンにおけるフランス企業の責任ある行動を促進する意図を明確に示しました。
国内事業に関しては、フランス郵政公社(ラ・ポスト・グループ)が、不法労働者の下請け契約での就労や安全衛生作業手順に対する注意義務違反があったと判断され、損害賠償責任が認められています。 2025年6月23日には、パリ控訴院がフランス郵政公社の注意義務法違反の第一審有罪判決を支持しています。
その他の欧州諸国における環境・人権関連規制と処罰動向
欧州では、フランスやドイツ以外にも、環境・人権関連の規制強化とそれに伴う企業への責任追及の動きが広がっています。特に注目されるのは、オランダにおける気候変動訴訟です。
オランダでは、環境NGO「地球の友」(Milieudefensie)などが石油大手シェルに対し、気候変動対策の強化を求めて提訴しました。2021年5月26日、ハーグ地方裁判所はシェルに対し、2030年までにCO2排出量を2019年比で45%削減するよう命じる画期的な判決を下しました。 これは、企業が気候変動による人権侵害の脅威に対して責任を負うことを認めた、史上初の判決となりました。 しかし、シェルはこの判決を不服として控訴し、2024年11月12日、オランダの控訴裁判所は温室効果ガス排出量の大幅削減を命じた原判決を取り消しました。 その後、2025年2月12日には、気候活動家が特定の炭素削減目標を巡りシェルを最高裁判所に提訴しています。 また、2025年5月13日には、Milieudefensieがシェルに対し、700件に及ぶ新規の油・ガス田開発計画を巡る新たな気候訴訟を起こすと発表しました。 この訴訟では、開発の即時停止に加え、2030年から2050年にかけた段階的な排出削減目標の策定も求めています。
このシェルの事例は、企業が気候変動対策において法的責任を問われる可能性を示唆するとともに、訴訟の長期化や判断の複雑性も浮き彫りにしています。欧州全体では、EUグリーンクレーム指令など、企業が環境に関する主張を行う際の透明性と信頼性を高めるための新たな規制も進められており、2026年以降も企業への環境責任が厳しく問われる動向が続くでしょう。
Reference / エビデンス
- CSDDD Redefines Supply Chain Due Diligence - Seoul Economic Daily
- CSDDDとは?EUサプライチェーンDD指令の概要と日本企業への影響 - booost Sustainability
- EU企業持続可能性デューデリジェンス指令(CSDDD)の簡素化 変更のポイントと実務への影響 - EY Japan
- EU CSDDDの修正がデュー・ディリジェンス実務に与える示唆(完) - Mori Hamada & Matsumoto
- 「ビジネスと人権」に関する行動計画の改定およびEUにおけるオムニバス法案に関する状況のアップデート ESG - PwC
- 改正EU製造物責任指令(Product Liability Directive, Directive (EU) 2024/2853)の全体像 ― デジタル時代における製造物責任法制の再構築と日本企業への示唆 ― | ヨーロッパ
- EU人権・環境デューディリジェンス 法制化の最新概要 - ジェトロ
- EU企業持続可能性DD指令(CSDDD)の改正に関するアップデート | 著書/論文
- 「サプライチェーンと人権」に関する法制化動向 (全世界編 第3版) - ジェトロ
- ドイツ産業界、サプライチェーン・デューディリジェンス法の停止を求める(EU、ドイツ) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース - ジェトロ
- ドイツ企業団体、サプライチェーン法(LkSG)の停止を要求 EU指令との整合性が焦点
- 「A&Sニューズレター「ビジネスと人権」シリーズ 第11回 ドイツ政府、サプライチェーン・デューディリジェンス法(LkSG)の緩和措置を閣議決定」
- 「サプライチェーン・デューデリジェンス法」2023年施行へ(ドイツ:2021年7月)|フォーカス|労働政策研究・研修機構(JILPT)
- パリ司法裁判所、国外の注意義務法違反で初めてフランスの親会社に有罪の判決 - ジェトロ
- 欧州の人権・環境デュー・ディリジェンス 義務化と日本への示唆 - Research Focus
- パリ控訴院、フランス郵政公社の注意義務法違反の第一審有罪判決を支持 - ジェトロ
- 【フランス】「注意義務法」に基づく訴訟・催告による救済、それを対話により紛争を解決する連絡窓口が補完(フランス:2023年9月) - 独立行政法人 労働政策研究・研修機構(JILPT)
- 注意義務法(Devoir de Vigilance) - EcoVadis
- Netherlands: Shell faces potential legal action over failure to meet court-ordered emissions reduction targets
- 「政府の不十分な気候変動対策は人権侵害」とオランダ裁判所 - オルタナ
- シェル石油への「CO2削減令」をオランダの裁判所が撤回、環境団体が落胆 - Forbes JAPAN
- オランダ・ハーグの地方裁判所がロイヤル・ダッチ・シ ェルに CO2 の純排出量を 2030 年までに 2
- オランダ裁判所、英蘭エネルギー大手ロイヤル・ダッチ・シェルの温室効果ガス排出目標「不十分」、2030年までに45%削減を命じる判決。企業の排出削減指示判決は初めて(RIEF) | 一般社団法人環境金融研究機構
- EUグリーンクレーム指令:企業が2026年の環境責任について知っておくべきこと - Green Initiative